【売り手の感動】無しに、お客様に旅をお薦めすることは出来ない!
出来る限りの下見を自らに課し、旅エールのサカイは今日も行く!♪

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2015年 5月31日 日光へ

 

約260年間続いた江戸幕府を開き、没後、日光東照宮に祀られた徳川家康。
自らを神として祀れと遺言した家康公。その真意とその後に及ぼした影響はどれだけの
ものだったのか。家康ゆかりの日光、なぜこの地を選び、なにを後生に残したかったのか『神となった徳川家康』のメッセージを訪ねました。

 

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今回は 中島、村上とともに早朝仙台を出発。前日、パソコンで下見の予定をつくっているときに『堂者引き』と呼ばれる日光の公式認定ガイドの存在を知る。興味が湧き、早速翌日の依頼をしてみた。ひと通り、『堂者引き』の説明を聞き、最後に案内料を提示された。 えー!! ¥6,000もするのー!(内心は高いと思いました:笑)
それでも本物への投資と考えて、思いきって申し込みました。

予定より少し早めの日光東照宮到着、堂者引き(ガイド)との約束の時間を待ちきれず、神橋まで一旦、さがってまた表門まで歩く。こういう場所はどこから入ってどこから出るがすごく大事(と酒井は思い込んでいます)。
静寂に包まれたお宮の森の中から、五重塔が顔をのぞかせている。やがて、あふれる人の波に飲み込まれるように消えてゆく。朝の静寂は旅の醍醐味のひとつ。

さてさて、堂者引きの中山さんと合流。
あらためて「堂者引き」がなんたるかを教えていただく。

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360年前から続く、案内人制度。ここにも伝えていくことの大切さにこだわる
日光・家康公の気風が感じられました。
その中山さんの案内をうけて、まずは日光山輪王寺へ。
そもそも日光=東照宮・徳川家康というイメージが強いのではないでしょうか?
実は、家康公の御廟所がおかれるはるか766年に「勝道上人」により開山。
鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えた。

 

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その輪王寺、本堂(三仏堂)平成の大修理中です。が、この修理中だからこそ
三仏をかなり真近にみることができます。その他にも元陽明門の祭祀『風神・雷神像』。
日光山・輪王寺とういベースがあっての日光・東照宮というルーツを感じます。

 

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いよいよ、東照宮へ 一般的なお土産屋さんのご案内ですと
はい、ここが陽明門、三猿、ねむり猫、唐門… あとは何時集合でーす!
と、いう流れですが、堂者引きは違います。ゆっくりとした足取りで、
じっくりと家康公、徳川家のメッセージをこの場所を通して伝えてくれます。

1616年、ちょうど400年前
「一周忌が過ぎたら日光山に小さな堂を立て、私を祀りなさい。
私は神となってこの国を守ろう」駿府久能山から日光へ
「小さな堂」は祖父を熱烈に崇拝する家光公によって、豪華絢爛な
社殿に建て替えられた。「費用おかまいなし」という命の下、当時の
名工や技術集団が江戸初期の建築と美術を粋を集めて造られた。
緑豊かな日光山の大自然と共鳴する、人工美の結晶はいまにつづいています。

この節目のときに、
260年続いた豊かな歴史と文化 「江戸」の礎となった
日本一の漢(おとこ)の風を確かに感じて参りました。

 

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日光山輪王寺・日光東照宮・輪王寺大猶院へのお参りを通じて
多くの皆様に《聖地・日光》の歴史の一旦に触れて頂き、あわせて
家康公のご遺徳を偲ぶ縁(よすが)を感じる旅へいざないます。

 

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小学生からずっとサッカーに明け暮れる毎日を過ごしていました。

今号では ボクがなぜ?この旅行業に ついたのかを皆様にご紹介させていただきます。

幼少期は実家若林で弁当屋を営む両親の三男坊(バッチ)として過ごしていました。
冬でもくつ下をはかない男の子だったそうです。(おかげで丈夫ですv)

一つ上の兄と、キャプテン翼の影響を受けて小学3年生のときから
サッカーにのめり込んでいきました。 小中高と続け、
高校2年時にブラジル遠征の機会に恵まれました。

その渡航説明会のときに、あらわれたのが“ミスターオクレ”そっくりの
森井さんという方でした。最初は(失礼ですが)その風貌に頼りなさそうだな~
と、思っていました。
しかし、いざブラジルでお世話になったら、ボクたちが何一つ心配なく
現地でのサッカーにうちこめるように、食事、移動、宿泊、もろもろの手配をして
くれたのでした。滞在中、森井さんがちょっとの間、いなくなるとなんだかソワソワ
してくるぐらい安心感のある方でした。

もちろん、その後もサッカーに打ち込んできたのですが、進路を考える度に
森井さんのように旅のお世話をする仕事は自分に合っているのではないかと
いつのまにか思うようになっていました。
色々な人に会えて、色々な場所にいくことができる
そして、美味しいモノにも沢山出合える このお仕事を選びました。

専門学校を経て20歳のときにタビックスジャパンに入社
その後、二つの会社で経験を積ませていただき、いまに至ります。

旅行業に携わってから18年
おかげさまで旅をコーディネイトする経験をたくさんさせていただきながら
日本各地を巡らせてもらうことができました。
その中でお客さまと一緒に味わうことのできた感動、感激はこの仕事の最大の喜びです。
ときには自分の甘さでせっかくの機会を満足のいくものにさせられず
落ち込んだこともあります。ときには旅先で思いがけないハプニングに遭遇し
たじろぎながら乗り越えたこともあります。
そんな刺激と感動に満ちあふれたこの仕事に携われたことに心から感謝しています。
この仕事のおかげで得られた『機会』は計り知れません。

そんなきっかけを
ボクに贈ってくれたのは… とっても頼りになるミスターオクレ(森井さん)でした。
いつか自分もだれかの“ミスターオクレ”になれるように初心を忘れずに励んでまいります。

森井さん

※写真右側がミスターオクレ(森井)さん ムイントオブリガード!!

※シリーズ【ぼくの分岐点】は隔月発行のニュースレター《さんさんパスポート》に
掲載している記事です。

 

あの大きな大きな震災から丸4年が経過しようとしています。

この会社「旅エール」設立に関わるエピソードをご紹介させて
いただきます。

〜〜〜
震災後、旅行の仕事は激減しました。そんな中でも、
自分もなにかしないと!実家のお弁当屋を手伝ったり、
友人のいる南三陸町へ何度もお手伝いに通っていました。

ある時、九州からのボランティアツアーへ同行。
仙台を出発する前、母が「自分にはこれをつくることしか出来ないから」
と、おむすびを持たせてくれた。
それをボランティアの合間に、ツアーに参加してくれたみなさんに
食べていただいた。

後日…その中のお一人から
長崎県天草のお塩とともに、一枚のメッセージカード届く。

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「おいしいおむすびをいただいたお兄ちゃん様へ
これからも頑張って、皆さんを結びつけて下さい。松本」

正直言って、震災後は旅行業を離れる(転職)ことも考えました。

これだけの状況の中で旅行なんて言っていられない、
自分にはいったいなにができるんだろう…。

そんな日々を送る中、
松本さんのメッセージで目が覚めました。

そうだ!!

結局これまでやってきたことしか出来ない、
旅行業で培ってきた経験を活かすしかない。

旅を通して人と人を結ぶ大切さを再認識しました。
ほんの短いメッセージの中に、
自分の使命を見つけることのできた 大切な大切な宝物です。

〜〜〜

開業時に綴った文章です。時間が経つと震災のこと、開業したときの気持ちと
少し離れてしまうこともあります。なんどでも初心にかえること大切ですね

※シリーズ【ぼくの分岐点】は隔月発行のニュースレター《さんさんパスポート》に
掲載している記事です。