なぜ僕が「旅エール」を始めよう
と、思ったのかについて

物語り調でお伝えします。

 

 

読みやすくなるように心がけて書きました。

スラスラと、読めると思います。

 

 気楽に、たのしみながらお読みください。

 

 

 

では、はじめます。

 

物語なので「である調」でお話、しますね。

 

1、忘れもしない3月11日 東日本大震災と一枚のメッセージ


実家はおむすび弁当屋を両親が営む。仙台生まれ、仙台育ちの三男坊。

あることをきっかけに「旅行会社」につとめた。

 

 

 

日本全国を飛び回り、たくさんの仕事の経験を積み、社内でも頼られる存在となっていた。

月日は流れ、旅行業をつづけ、

働き始めてから13年後の春、その日は突然やってきた。

2011年 3月 11日 14時46分

 

自宅マンションの書斎にいてパソコンで調べ物をしていた。

まるで悪魔が忍び寄ってくるような、不気味で尋常じゃない地鳴りに、

血の気が引く

 

 

すぐに2日前にあった余震がフラッシュバックし

「もしかして、これ【宮城県沖地震】じゃないのか!?」と察知。

 

 

大急ぎで、家族が昼寝をしていた和室に飛びこんだ。妻と、それぞれ3歳の娘、1歳の息子、子供の上におおいかぶさる「ガタガタガタ!!」と、今まで経験したことのない揺れと空気感「地震後の避難路を確保しないと!」

 

庭に通じる、大きなサッシ窓をあけようとするが思うように体が動かない…「すごい揺れだ!! 目の前の、リビングから庭に抜けることのできるサッシまでをも歩くこともできない…」和室から見える、リビングの蛍光灯が2度、3度点滅し、消えた… 

荒ぶる自然のチカラの前に、

窓から見える外の様子と空虚な空

家の中の天井を見つめながら…

恐怖と、無力さにうちひしがれる

 

 

さらに揺れは強まりながら、長引く。

数ヶ月前におこったニュージーランド地震のビル倒壊が

頭をよぎり、覚悟を迫られていたような心境の中、

 

隣りで長男を守りながら、僕をみる妻の眼差しがとても儚く感じられた。あとで聞くと、妻もまた覚悟した瞬間だったという。34年生きてきて始めて『死』を覚悟させられたものすごく強い地震は3分間も続き、やっと、、やっとおさまった。【震源地 三陸沖 震度7(マグニチュード9.0)】

 

その夜、

 

家族と、近所の方とマンション1階のリビングで身を寄せあい、

弱くも、優しく灯るローソクのあかりの前に集まっていた。

 

NHKのラジオから流れる、パーソナリティーが声をつまらせながら

 

『あ、荒浜に200から300の遺体が確認されています…』

 

 という放送に耳を疑った。

 

 

「え!

ぜったい、なんかのまちがいでしょう、、 信じられない、、」

 

なんとか、いつもの自分を保つ為、庭に出て冷たい空気にあたる。

 

ふと、空を見上げると目に突き刺さるほど近くに銀色の星々があった。これまででもっとも美しく、宇宙をすぐ側に感じる星空の下自然のもつ、脅威と神秘さを身にしみて感じた「忘れられない一日」となった。

 

 

地震後、世の中は一変し、もちろん旅行業も全面ストップ地震、津波、原発の問題から、日常を取り戻すのが精一杯の状態が1年ほど続いた。「旅行」どころではない時期が、ながく続く中、正直言って、旅行業を離れ、転職することも考えた。 

 

「これだけの状況の中で旅行なんて言っていられない、

 自分にはいったいこの先、なにができるんだろう…。」

 

 

そんな葛藤の日々を送る中、

旅行業を通じて広がる全国の仲間たちから、

 

 

「宮城にいって、なにかできることはないか!?」

「ようすけの友達や、知り合いで困っている人のチカラになりたい!」

「復興のためになにかできることをさせてもらいたい!」

 

 

というような、有難い申し出をたくさん受け取った。

そのような要望に応えるべく、仙台駅や仙台空港で、

各地からのグループを出迎えて被災地に同行した。

 

 

ある日、九州からのボランティアツアーで南三陸町へ向かった。

 

仙台を出発する前、母が、「自分にはこれをつくることしか出来ないから!」と、200個以上の「塩むすび」を持たせてくれた。ヘドロかきや、ガレキ処理など、重労働なボランティア活動の合間に、

 

遠くから来てくれたみなさんと、現地の方々と一緒になって

笑いながら食べた。

 

 

後日、その中のおひとり、熊本県天草のお塩とともに、

一枚のメッセージカード届いた。

 

 

「おいしいおむすびをいただいたお兄ちゃん様へ これからも頑張って、皆さんを結びつけて下さい。松本」

 

 

松本さんからの、短くも心のこもったメッセージが旅行業から離れようかと葛藤していた自分に

 

 

「バシン!」 と、ビンタをされた気持ちになった。

 

 

「そうだ!!結局これまでやってきたことしか出来ない!」「旅行業で培ってきた経験を活かしきることが大切なんだ!!」「旅」を通して人と人を結ぶ大切さを再認識した。ほんの短いメッセージの中に、

自分の使命を見つけることのできた 大切な大切な宝物。

この未曾有の大震災を通じて経験させてもらった

 

 

人が人を応援することの尊さ。

 

 

 

「よし!」 

 

「ぼくはこれを自分の今後の使命にして、

 人と人をつなげる旅行会社をつくりあげるんだ!!」

 

 

震災から3年後の 2013年 11月23日お米の実りに感謝する新嘗祭(勤労感謝の日)「おむすび」に、ちなんでこの日に  

《旅エール》をスタートさせることができました。

(*8年前、36歳)

 

 

旅エール は 旅と応援旅を通じて、応援しあえる関係性をつくっていける 旅行会社にしていこう。という想いのもとに立ち上げた会社。 

 

おむすびツアー は 

人と人をむすぶ。

人と地域、人と歴史をむすぶ。

 

 

だから、

 

 

旅エールおむすぶツアー は

出会いとストーリーを心から大切にする「旅」を目指して動きだした。

 

 

しかし、、、

この理想は、そう簡単に叶えられるものではなかった。

なんどもなんども、

くじけそうな苦難の道がまっていたのだった。

 

 

 

 

2、大切と思いながらも軌道にのせるためにもがき苦しんだ時間

 

夢と希望と志を持って、旅エールは船出しました。

「たくさん、いい旅の機会を提供するぞ!」

「使っていただける方にたくさん喜んでもらいたい!」

 

すぐに旅エールの事業は軌道にのり、

参加するみなさんの喜ぶ笑顔をイメージしていました。

 

「これからめっちゃ忙しくなるんだろうな」

 

ところが、、

実際はまったく違った。

 

当初は、ふたりのスタッフとともに、

 

これまでの業界での経験をもとに

自社のオリジナルの「おむすびツアー」を

企画、販売スタートした。

でも、結果は全く売れなかった。

 

地元の仙台市内を中心に

新聞の折込チラシで集客を試みるものの

 

・認知度がない

・実績がない

・旅エールってなに? 大丈夫か?あやしまれる

・満足できるツアーなのか

・やっぱりツアーはクラブツーリズムとか阪急交通社が安心でしょう

 

おそらく、こういう理由で思うように集客できなかった。

 

「やべえ、広告費でお金だけが減っていく一方だ、、」

「一体何をどうしたら、価値を認めてもらえるのか、、」

「そもそも、うちのツアーに価値はあるのか、、」

 

やればやるほど、自信がなくなっていくような

負のスパイラルにハマっていた。

 

やっと、ひとつのツアーが集まったかと思えば

催行人数ギリギリのため

採算があわない人数での出発、、

 

正直、

収益の出ないツアーの添乗ほど、辛い同行はなかった。

でも、せっかく申し込んでいただいたのに


「催行人数に満たないので中止します。」


とツアーキャンセルを繰り返していては、

「旅エールは申し込んでもどうせ出発しないでしょ。」と

言われては信用がつかない。

 

僕は

「も、 もう、 どうしよう、、、」

 

 そんな、ギリギリの状態を1年ほど過ごしていた。

 

ある日、山形の温泉旅館の営業マンからの情報で

「オリジナルツアーなら、新潟にある T社のやり方をぜひ参考にするべき!」と教えていただいた。

早速、一般のお客さんをよそおって ホームページから資料請求した。

 

そしたら、

ぼくの住所が宮城県で、新潟の旅行会社への資料請求というところが

気になったのか、受付をしていただいた方から連絡をもらった。

 

受付の方が、

「もしかして、酒井さんって旅行会社の方ですよね?」

 

「は、はい(なんでバレたんだろう?)」

 

そこで正直に、、

「じ、じつは、

 ぼ、ぼくも旅行会社で、

 参考にさせていただきたくて資料請求させていただきました」

 

と、つたえたところ、

 

少し時間をおいてから

T社の社長さんから、

あらためて直接電話をいただいた。

 

「もしかしたら怒られるんじゃないだろうか…」

「自社のノウハウをマネしないでほしい。とか言われちゃうのかな…」

 

おそるおそる電話に出て、

話をすると意外な言葉をもらいました。

 

「一緒に旅づくりの勉強しませんか?」


「立ち上げたばかりの会社であれば、尚更ぼくたちの勉強会は参考になるはず」

と。

 

(T社は、東日本7社の地元旅行会社で連携し、2ヶ月に1度それぞれの企画や施作を持ち寄り、注目の場所や施設を下見しながら、定期的に勉強会を開催されていたのでした。)

 

そのような勉強会に誘っていただけたこと、

その有り難いお気持ちと、貴重な機会をいただくことができました。

 

そこからは、

新潟、石川、富山、東京、埼玉、福島、山形の

地域旅行会社持ち回りの勉強会に参加させてもらいました。

 

先輩社長たちから

・集客の仕方

・面白いツアーにするための秘訣

・お客様がまた来たくなるチラシの作り方

などなど、本当にたくさんのことを教えてもらいました。

 

ときには 各会社のツアーにお客さんとして参加し、

ツアーに参加する方は、なにを喜びと感じ、どんな旅だと満足するのかということを探究し、実際に体験することで、自社のツアーにその要素を徐々に落としこんでいきました。

 

それからは、なんどもなんども 下見体験、勉強会、

試行錯誤の自社ツアーを繰り返し、継続することで、

だんだんとツアー会社らしくなっていったのでした。

 

それでも、苦しい状況は、

その後2年間はつづきました。

 

3、つづけたからこそ、出逢えたツアーコミュニティ ー

 

いつか、たくさんの方々が集うツアーになるだろうと信じつづけ、

収益がでなくても、まずは信用を積み重ねるつもりでツアーの集客と実施を繰り返していました。

なんとか続けていくことができた中で、 このような気づきが明確になってきたのでした。

 

 

「安いだけが、魅力じゃないんだ」

「観光地をただめぐるだけではダメなんだ」

「旅行会社がたくさんの売り上げをあげるための理由で選ぶ施設や、設定であったり、人の感情に重きをおかないツアーでは、ぜんぜんダメなんだ」

「提供するぼくたちも、心からそのツアーをたのしめる状態が必要なんだ」

「おひとり参加の方が心細くなく、安心できる状態ってどんな雰囲気なんだろうか」

などなど。

こういうことを はっきりと意識できて、ツアーにおいて、
大切に扱えるようになってからは

 

参加者する方々の 安心感、信頼感、

そしてリピートしてもらえる回数が

グーーーーン!!と、あがってきました。

 

 

2017年の12月のことでした。

 

ツアーの最後(最終日)に、ある参加者がこう語ってくれたのです。

 

 

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大手旅行会社ツアーはひと通り行ったけど、旅エールは添乗員始め、一緒に参加するツアー会員の方々がとても親しみやすく、つかれない。 気持ちよく過ごせるリピーターが多く、いけばいくほど、安心感が増していく感じが心地良い。 子育ても終わり、母と夫を見送っての残りの人生。こういうツアーコミュニティに出会えたことは、これからの私の財産。 K.H

=====

 

 

このあたりから、

 

 

ぼくの中では 

「旅を、売っているんじゃないんだ!」

 

 

 

と気づきと手応えのようなものを

明確に感じ始めました。

 

 

それは、

ツアーを構成する要素(食事、宿泊施設、見学地など)だけではない

 

参加する方々、現地で交流する方々、

ツアーを通して接する人同士のコミュニティの状態をどう扱うのがベストなのか

と、いったようなことです。

 

そして、いつからか

このような感想をいただけるようになりました。

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○社、□社などのツアーにもたくさんいったが、添乗員が一緒に、和やかに食事をしたりする事、参加者の構成や、その日の天候に応じて微調整する添乗員のコーディネイト力が他社とは圧倒的に違い、気持ちがいい。S.H

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五感を磨ける旅をしてくれる。現地でフィールドワークのように学び、本物の味を食し、さまざまな体験を通す事で心が豊かになり、若さを保てる。そして、ツアーに関わるみなさんのお人柄が良く、質のいい交流ができることで元気になれる。S.K

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単なるツアーではなく、

ぼくたち旅エールが 扱わせてもらうのは

 

 

「旅でつながる人との交流で、元気になれる」

 

「一人で参加しても、不安や心細さとは無縁なツアーで

 一緒にすごせる参加者の方々と、気持ちよく安心して過ごせる旅ができる」

 

「趣味嗜好が似ていて、同じ価値観なので、互いに理解しあて今後の友好関係も続く参加者に出会える」

 

 

このようなことを参加者同士が一緒に体験することのできる

 

「ツアーコミュニティ 」を大切に扱っているのです。

 

 

 

こういうツアーコミュニティがあれば

ふつうのパンフレットに載っているようなツアーではではなくなります。

 

・再会することが、楽しみになる。

 

・人と会える楽しさが「旅の楽しさ」になる。

 

・ひとりでも気楽に集える場所をもつことになる。

 

・自分にとって心地の良い時間を過ごせる第三の居場所が増える。

 

 

 

これは

「旅エールおむすびツアー」を体感した人にしかわかりません。

 

あのときの、東日本大震災という未曾有の大災害が
人が人を助け合い、そしてそこに、交流が生まれるという大切さを教えてくれた。

 

そのことがきっかけで、大きな決断につながり、努力を続けられたからこそ、
こういった「ツアーコミュニティ ー」をつくることができました。

 

そして旅エールおむすびツアーコンセプトである

 

「旅のおわり、いつものまにか友達になっていて

 またねと別れることが、次の旅のはじまり」

 

を見つけることもできたのです。

 

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ぼくたちは、

このコンセプトを

宮城、東北、東日本の方だけではなく

 

 

旅を通じてホッとできる関係をむすんでいきたい。

むすべる方々を

日本全国に増やしていきたいです。

 

僕たちと一緒に

旅を通じて、人生をもっと楽しくしていきましょう。

 

旅エール おむすびツアー

酒井陽介